とわだを読む 日々の語LOG

TOWADA HIBI COLLECTION WEB MAGAZINE

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移住フォーラム開催 
ゲストが語る十和田暮らし part②

  • ウェブメディア『灯台もと暮らし』編集長
    伊佐知美

    1986年、新潟県生まれ。横浜市立大学国際総合科学部卒業後、大手信販会社、出版社勤務を経て独立。これからの暮らしを考えるウェブメディア『灯台もと暮らし』(もとくら)編集長・ライター・フォトグラファーとして日本全国・世界中を旅しながら活動中。オンラインサロン『編集女子が“私らしく生きるため”のライティング作戦会議』主宰、著書に『移住女子』。
    灯台もと暮らし http://motokurashi.com/

  • 字と図 デザイナー
    吉田 進

    1976年、東京都杉並区出身。多摩美術大学在学中からデザイン会社に勤務し、フリーランスを経て起業。十和田市出身の妻・千枝子さんの第二子妊娠・出産を機に2013年、十和田市に移住。夫婦で創作ユニット「字と図」をスタート。イベントプロデュースなどに も活動の幅を広げる。
    字と図
    http://jitozu.com/

  • 株式会社Queen&Co. 取締役
    アレックス・クイーン

    1988年アメリカ・ネブラスカ州生まれ。19歳で外国青年招致事業の最年少参加者として青森県むつ市に赴任。語学指導を行う。その後、学校法人慶應義塾に勤務。2016年、(株)Queen&Co.を共同設立。翻訳・通訳事業をはじめシステム開発、デジタルメディア制作等、多岐にわたる事業を展開。同年、十和田市へ移住。
    株式会社Queen&Co.
    http://queenand.co/

  • NPO法人奥入瀬自然観光資源研究会(おいけん)事務局・ガイド
    玉川えみ那

    1985年、十和田市生まれ。大学進学とともに上京し、卒業後は都内の写真関連会社に就職。父親が奥入瀬で事業を興したことをきっかけに故郷への思いを新たにし、2012年にUターン。結婚を機に、2013年に夫も県外から移住。現在、ネイチャーガイドとして日々奥入瀬の自然と向き合い、その魅力を発信している。
    奥入瀬自然観光資源研究会 https://www.oiken.org/

  • NPO法人プラットフォームあおもり理事長
    米田大吉

    1964年、青森市生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、大手スーパーで人事・能力評価などを担当。95年にUターン後は、県内の大学・高校・中学生のキャリア教育プログラム支援や若者と企業のネットワーク作りなどに携わる。2011年4月、青森県の働く人と企業を支えるNPO法人プラットフォームあおもりを設立し、理事長に就任。
    プラットフォームあおもり http://platform-aomori.org/

地域の仕事は足で掴め!

ここで吉田さんがどんな活動をしていらっしゃるかを、もう少し詳しく見てきましょう。

これは何年前かな。2013年だと思います。奥入瀬渓流ホテルと十和田市現代美術館が一緒にやっているイベントで、ホテルが冬場に休業するので、開業中はホテルで、休業中は美術館に場所を移して奥入瀬渓流をイメージした展示をさせていただきました。実は冬場も色々見どころがあるのに、冬場は夏場よりもお客さんが外に出ないと、ホテルからお話があって。だから、ランタンを持って外に出ていただくような仕掛けを…。

吉田さんが移住されたのが2013年ですから、これは…。

移住してすぐですね。

いうなれば地域の仕事。それをどうして移住してすぐの吉田さんができたんでしょうか?

移住してすぐ、美術館で3日間のイベントがあったんです。ボランティアで手伝いに行きまして。そこで美術館の方にご挨拶をして回って、すぐに使っていただけることになったんですよ。

飛び込み営業?

の、うまくいった例(笑)。

移住をして地域の仕事をしていく。移住者の一つの理想のような気がします。やはり自分で顔が出せる場所に足を運んで、挨拶をして、つながりを作っていく。仕事としても大事なことですが、個人としてもそのほうが楽しいよねっていう。

名刺だけは作っておいたので、会う人、会う人に積極的に渡していったんですね。そうしたら十和田市現代美術館の方とつながって。

もう少し見ていきましょう。これは十和田の…マルシェですか?

十和田市役所でマルシェを開くにあたって、最初は台とかの什器を選んでほしい、ぐらいのお話だったんです。でも、せっかくだからちゃんとブランディングしたほうがいいんじゃないかってご提案しました。十和田らしさをもっと演出したほうがいいんじゃないかと僕なりに考えました。外から見た者としては、十和田は水がすごく豊か。奥入瀬渓流、十和田湖、稲生川、だいたい水に絡んでいますよね。それをアピールするに越したことはないんで、水色を使って。提案したら「いいねいいね」で、どんどんツールが増えていって。しずくのマークを作ろうとか、テントはこうしようとか。

その提案を受け入れるほうも大したもんですよね。

そうですよね。よく聞いてくれたなと。十和田の人のすばらしさですよね…って、おべっかですけど(笑)。

本当にすごいですよね。私は金融に勤めていた時代があって、行政と金融は少し似ているなって思うところがあるんですよ。なぜかというと、「前例がない」っていう言葉をよく言われるんです。「やったことないからやる必要がない」、もしくは「20年ぐらい前に一度やって失敗したんだよね」みたいなことでダメになっていく話がとても多い。そんな中でこういう提案を受け入れてくれるっていうのはすごい。今日の場もきっとその一つですね。これから新しく来る方を受け入れていく場をつくっていきたい、という気持ちが、いろんなところに現れていますね。次のこれは…。

僕がこちらに来て一番最初に携わった仕事が、「和酒女子(わしゅじょし)」のお仕事。日本酒好きな女性のグループの名前なんですが、和酒女子の”和”は日本の”和”と、十和田の”和”をかけていて、十和田と日本酒を愛する女性たちっていう意味なんです。その人たちが酒作りをして新商品を出すにあたって相談に乗ってほしいとのことだったので、こういうラベルにしました。海外のアワードで受賞した作品です。

IFという世界的なデザイン賞ですね。移住前から地域の仕事をやってみたいと思っていたんですか?

思ってはいましたね。東京では企業向けのお仕事が多くて、一般の方が手に取るようなもののお仕事がやってみたかったんです。

次にこちらは?

青森県庁からいただいたお仕事で、県内の高校2年生全員に配る資料集です。「青森県ってこんなに素晴らしいんだよ」っていうデータ集みたいなものがありまして、そのデータ集をどうやったら見てくれるかっていうところから始まっているんですよ。

「通勤時間が短い」とか、ここですね。

そうです。初年度と2年目があって、これは2年目のほうですね。「忍者」をテーマにデザインしてます。県内の手を挙げてくれた学校に取材しに行って、学校で選んだ生徒さんをモデルにして、僕のほうで最初に絵を考えておいて。たとえば「マイホームを持てる」、これデータとしては全国2位らしいんですが、だから「おうちのセキュリティならまかせてね」みたいな感じで忍者を配置して、反対のページは「通勤時間が短い」なので雲に乗せて。

筋斗雲的な感じ。

こういうデータが20項目くらいあるのかな? それを写真集にまとめました。

次も学校の。

はい。娘の小学校でPTAをやっていたら、会長さんや教頭先生から「やってくれ」と。グラウンドの改修工事をすることになっていたので、みんなが協力してくれるようにということでポスターを作りました。これもIFデザイン賞をいただきました。

移住者ガイドから教わった、奥入瀬の魅力と価値

なるほど。いろんなお仕事がありますね。今どんなことをされているのかが分かったところで、ではなぜ十和田に来たのか、というところをもう少し詳しく聞いていきたいと思います。えみ那さん、うかがってもいいですか?

父が奥入瀬で事業を興しまして。10年ぐらい前かな? 自然体験ツアーを提供する会社(※)だったんですが、私はその頃にはもう大学進学、その後、就職で都内や神奈川にいて、身内が奥入瀬で事業を興したなんてすごくびっくりしました。でも、それをきっかけによく帰省するようになって。十和田に住んでいたときには「奥入瀬なんてただの観光地だし、車酔いするイヤな場所」っていうイメージしかなくて、ほとんど行ったこともなくて。でも1回外に出て、きっかけをもらって、見つめ直したら…なんて素晴らしいところなんだろうって気づいて。あとはアウトドア事業をやるにあたって、県外出身のネイチャーガイドさんと接したことが大きいです。皆さん十和田湖・奥入瀬でガイドをやるために移住した方ばかりで、そういう方々に奥入瀬の魅力と価値を教えていただいて、すごく感動して、いつか自分もこの魅力を伝えられるようになりたいなと思って戻ってきました。
(※)2013年に県内の企業に事業を譲渡

自分ではあまり魅力を感じていなかった十和田湖だとか奥入瀬渓流に、もう一度惚れ直したってことなんですね。

そうですね。それまでは見ていなかったんですよね、きっと。目に入るようになって、意識するようになったら、価値に気づいて。今日も午前中、奥入瀬に行ってきたんです。車で30分、峠越えなし、無舗装道路なし。ものすごくアクセスがいい。1時間くらい自然に浸ってすぐ帰ってこられる。十和田はそういう場所なんですよ。その良さを、住んでいる人こそ見えていないのかもしれない。「別に迷わないのになんでガイドつけなきゃなんないの」とか「十和田湖でカヌーに乗るのになんで6,000円も7,000円もかかるの」みたいな人もいるんですけど…本当は全然そういう次元の話ではなくて。唯一無二の自然なんだって気づいたときに、「帰ってこなきゃ」って強く思いました。

十和田湖・奥入瀬って本当に気持ちいいですよね。お二人も行かれたりしますか?

先日、玉川さんご夫婦と一緒に早朝カヌーを経験してきました。すごくすがすがしい時間でしたよ。

えみ那さんのお父さんが会社を興されたきっかけも早朝カヌーだったとお聞きしました。

父がキャンプが好きで、あるとき一緒にキャンプしていた仲間が持ってきたカヌーを黙って持ち出して、早朝の十和田湖に漕ぎ出したらしいんですよ。そのときの感動を広めたくて起業を決意したらしいです。

それはすごく分かります。私も東京から昨日来て、今朝、十和田湖に行ってからここに来たんですよ。湖水がすっごくきれいで、靴を脱いで少し湖に入ってから、「整った!」と思ってから来ました(笑)。そういうのが東京ではもちろんできないですし、人間よりほかの生き物のほうが多いっていう十和田湖や奥入瀬のような空間が、東京にはないんです。ここに住んでいたら30分だとか1時間だとかで行ける。日帰りができる距離にあんなにきれいなところがあるっていうのは本当に稀有なことですよね。

僕も昨日の夜キャンプして、今朝帰ってきました。法奥小学校っていう学校の近くに山があって、蛍が飛ぶんですよ。20匹ぐらいはいたんじゃないかな。

金曜から土曜はキャンプをして、日曜に帰ってきて、また働く。うらやましいライフスタイルです。アレックスさんはキャンプはしますか?

しますね。この夏は8月の末に企てているところです。天の川を撮影して早朝カヌーに行ってっていうフルコースを(笑)

同じ境遇の仲間と起業し叶えた「青森に帰りたい」

ではここでアレックスさんの移住のきっかけを少し詳しく聞いていきますね。

14歳~18歳は五所川原とアメリカを行き来しながら生活してまして。夏の間だけ3か月ずつ、ホームステイで五所川原に来ていたんです。19歳からはJETプログラム(外国青年招致事業)でALTとして小学校や中学校で教えて、今はむつ市になった川内町に約4年ぐらい赴任しました。そこから東京に引っ越して、慶應義塾大学の職員をしていました。で、働いていたらやっぱり青森に帰りたくなって

帰るのは青森、と(笑)。

会場:(笑)。

10代の頃から青森に住みたい気持ちはあったけど、仕事がない。けっこう悩んだんですよね。友だちはみんな英会話をやればいいと言うけど、もっと持続性のある、地域のためになる仕事をしたくて

地域貢献を目指した。

そうですね。今はできなくてもいずれはできるように、その土台作りができるような仕事をしたいと思っていたんですね。で、なぜ十和田かというと。大学勤務のかたわら個人事業をしていまして、青森県立美術館や国際芸術センター青森の翻訳や通訳を務めていたんですね。7年間ぐらい。そのつながりで十和田市現代美術館のお仕事を紹介されまして、そこで初めて十和田市を訪れました。青森には10年近く住んでいましたが、十和田を訪れたのは初めてだったんです。

私と一緒ですね。十和田は通り過ぎていた…と(笑)。

すみません(笑)。でもそれがきっかけで十和田市でお仕事をさせていただくようになって、マイケルと一緒に会社を立ち上げようということになって。マイケルも5年間五戸町に住んでいたので、青森に帰りたいという気持ちがあったんですね。

それもすごいですよね。マイケルさんも青森で暮らされた時期があって東京に出ていて、2人とも青森に帰りたいと思っていた…。なんでですか?

東京は東京で、いい街です。文化だとか食だとか、刺激があって、すごく便利なところではあるんですけども、住めば住むほど、自分が受動的になってしまう気がして。” 消費者”というか。自分から能動的に何かアクションを起こしたいってなると、少し敷居が高い場所なんですよね。それが一つ。あとは環境として、青森は素晴らしい。広い、空気がきれい。食の安心・安全もある。コミュニティというものがあります。東京は人口が多いので、人を人として見られなくなっちゃうところがあるんだよね。分かりますかね?

頷いている方、多かったですね。私もそれはとても分かります。自分自身のことさえも”モノ”なんじゃないかって、たまに山手線とか乗っていると思ったりします。

こっちにいるとそれがないんですよね。10代の頃知り合った友だちと、まだ付き合っています。一昨日も、もう15年ぐらいの付き合いの方と岩木山に一緒に登ったんです。そういうコミュニティの感じは、青森ならではのものなのかなって思うんですね。で、十和田に実際に移り住んで、東京で5~6年住んでもできなかったものを、1年足らずでけっこう深い絆ができたなっていうふうに思います。

それはお仕事の面で十和田市現代美術館さんとの付き合いもそうだし、そこに住んでいる方たちとのつながりも?

そうですね。住んでいる人たちとのつながりも。美術館は美術館で、お仕事でご一緒する方たちもいますし、街に出て飲み屋さんだとかで地元の人と出会って、そこからつながっていくんですよね。

大きすぎず小さすぎず、ちょうどいい規模感がある。外から見ていてそう感じますね。

それは私も思いますね。人の顔を見て付き合っていける。人口6万数千人というのは大きなまちだと思いますけども、コミュニティが作りやすいとは思います。じゃあ仕事としてもそうだし、住む環境を好きになったということ。

そうですね。仕事は「何をやってるんですか?」ってよく聞かれるんですけども(笑)。

お仕事の内容についてももう少し。

マイケルも僕も慶應義塾大学に勤めていて、お互い違う地区にいたんですね。違う地区にいながら一緒に仕事をするとなると、クラウド上でツールを開発して、仕事を進めることになる。

インターネットでパソコンを使ってってことですよね。

そうです。遠隔で。違う場所にいても同じファイル、同じ情報を共有できることが必要で、それを一緒に開発していったんですね。すると新しい試みとして、たとえば東京の取引先の仕事を青森でやったら面白いんじゃないかってことになって。今は遠隔で使える簡単なシステムを作ったり、翻訳したり。ウェブを通じて東京の仕事をしているんです。今後10年、20年先は、そういった仕事が多くなっていくと思います。

今後増えていくだろうなというのは皆さん肌で感じていらっしゃるだろうし、私もそう思います。

…part③へつづく。

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