とわだを読む 日々の語LOG

TOWADA HIBI COLLECTION WEB MAGAZINE

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移住者だらけの座談会、第2回のテーマは子育て part➀

十和田に移り住み、十和田の“今”を知る人のことばから、まちの姿を発見していくウェブマガジン「移住の語LOG(カタログ)」。移住者だらけの座談会、第2回のテーマは子育て。会場はプレイルームや親子ふれあいスペースも備えた市民交流プラザ「トワーレ」です。

  • 字と図 デザイナー
    吉田進

    1976年生まれ、東京都杉並区出身。多摩美術大学卒業後、フリーランスを経てデザイン会社を起業。2013年に都内から十和田市へ移住。市内唯一の酒蔵「鳩正宗」に2年間勤務しながら、妻・千枝子さんと夫婦制作ユニット「字と図」として活動。

    字と図 http://jitozu.com

  • 字と図 ライター
    吉田千枝子

    1975年生まれ、十和田市出身。2013年に家族でUターン。グラフィックデザイナーの夫・進さんと制作ユニット「字と図」を結成し、イベントプロデュースなど活動の幅を広げる。現在の家族は千枝子さんの祖母、両親、小学2年生の長女と2歳の次男。

    字と図 http://jitozu.com

  • げんき接骨院
    服部玄気

    1987年生まれ、岐阜県加茂郡白川町出身。都内の飲食店勤務を経て2014年、柔道整復師資格を取得。2015年、一家で十和田市に移住し「げんき接骨院」開業。戸建て物件をリノベーションした自宅兼仕事場に妻・一子さんと4歳の長男の3人で暮らす。

    げんき接骨院 https://www.facebook.com/genkisekkotsuin/

  • げんき接骨院
    服部一子

    1981年生まれ、十和田市出身。高校卒業後に上京。携帯電話販売スタッフとして働いていた2010年7月、自身のバースデーパーティで訪れた飲食店で玄気さんと運命的な出会いを果たし、同年11月に結婚。13年10月に長男が誕生。実家まで車で3分。


  • 小川裕介

    1986年生まれ、東京都町田市出身。出版業界等を経て2016年、フリーライターとして独立。翌17年に妻・麻子さんとともに都内から十和田市へ移住。十和田暮らしを満喫しつつ、まちの魅力を発信していく予定。

    https://twitter.com/yusuke_ogawa06

Q.移住前後で子育てに変化は?

子育て移住の決め手は”お母さんが笑顔でいられるかどうか”

―移住以前、以後で、子育ての変化ってありますか?

うーん…実はないですね。長男が2歳になる前にこっちに来たので、入園とかも場所関係なく初めてで。

―一子さんのご実家が近くなったのは大きいですよね。

それはあります。お母さんに預けられたり、甘えられるのは助かる。以前は全部(一子さんが)一人で子育てしている状態で、出かけるときも連れて行くしかなくて。

―では、お二人で出かける機会もできた?

毎週水曜日にトワーレでやっている手話講座を夫婦で受講しています。こっちに来て始めて2年目になりました。東京ではできなかったことですね

東京にいるときはどの辺に住んでたんですか?

北区の赤羽です。

田舎っぽい街で自然もけっこうあるので、正直、十和田に来て「自然がいっぱい!感動!」みたいな感じはなくて。公園も荒川の河川敷も近くにあったから。

―では、あの…そもそもなぜ来たんですか? 東京でも特に不満なさそうですが…。

そうですよね(笑)。でも東京で子育てをしてたら、中学になって「お母さん、ボク渋谷に行くから5,000円ちょうだい」みたいなことになるんだなと…。ちょっと私の中で考えられなくて。東京行きたいなら大人になってから行けばいいじゃん。子どものうちは田舎で住むのがいいんじゃないかって。

―まさに子育ての環境として十和田を選んだんですね。

僕の実家が岐阜で、岐阜か青森かで迷って。仕事を考えたときに、こちらの方がやりやすそうだなと思ったんです。僕の実家は青森で言うと、奥入瀬渓流そばに家がポツンとあるような雰囲気の山の中。地元に戻るといっても仕事が成り立たなくなると困るから。

もう一つは、子育てをするときにはお母さんが笑っていなきゃいけない、と思ったから。お母さんが気楽に子育てできるほうがいいなって。

玄気くん20代だけど、この中で一番大人なんじゃない(笑)?

―吉田さんご家族は千枝子さんのご実家に住まわれているわけですが、子育て環境としてはいかがでしょうか?

全然変わりましたね。僕らが東京にいたときは特に、ちょっと特殊だったんです。震災以降の流れでいわば”疎開”をしていた時期があって。妻と長女で、沖縄、鹿児島、カナダと移り住んだ後でこっちに来てる。その間あまり僕は家族に会えなくて。こっちに来ることで家族一緒に住めたし、さらに家族が増えた。(※①)うちは4世代同居。おばあちゃんが2人いるんですよ。おばあちゃんとひいおばあちゃんと。僕ら夫婦と子ども2人を入れて7人家族です。

あと、ヒマを持てあました近くの親族が子どもの面倒を見にくるので、より大家族みたいな(笑)。ちょっと離れたところに母親の妹とか、父親の弟とかいるんです。

素敵ですね。

僕は自分の親族があまりいなくて、それでこっちに来たというのもあるんだけど、住むのが奥さんの実家のほうで良かったなと思います。やっぱり奥さんがラクなのがいい。

確かに、気がラクにはなりましたね。私は東京に住んでた頃、自分なりの”理想の子育て”があったんですよ。「添加物は食べさせちゃいけない」とか色々気を使い過ぎて自分を縛ってたっていうか…。実家に帰ってきたら、ふと見ると子どもにしょっぱいものでも駄菓子でも食べさせていたりして、最初こそ「やめて」とか言ってたけど、最近はおいしく食べたらもういいかなって(笑)。

―服部さんの現在の住環境は?

賃貸住宅をリフォームして。自宅の一角を接骨院にして仕事しています。

3人家族で、私の実家が車で2~3分ぐらい。歩いても行ける距離です。息子は朝は幼稚園バスが迎えに来てくれて、帰りは私が迎えに行って、実家に寄っておやつを食べて帰る、みたいな感じです。

視線が痛い!「電車にベビーカー」 職住近接で安心の今

―1日に1度はおじいちゃんおばあちゃんと顔を合わせるわけですね。大家族と核家族という違いはありつつ、ママとしてはお二人とも暮らしやすくなったと思われますか?

出かけるとき車なのが気楽ですね。東京だとベビーカーで電車に乗るとき、「ホントすみません…」っていう感じなんですよ。「ラッシュが始まる前に帰らないと迷惑かかっちゃうから!」みたいな。

出かけても夕方4時前には電車乗って帰らないと、学生さんとかでだんだん混んでくるから。

暖かく見守ってくださる方も多いけど、ベビーカーを見て舌打ちをするような人もいて、視線が痛い。

ベビーカー押してそのまま乗せて降りられればラクなんだけど、電車内は狭いからやっぱり畳まなきゃって。片手で子ども抱っこして、荷物も重いのに、暴れられると辛い!

遊ぶところも限られちゃうよね。こっちだと遊ぶところもいっぱいあってラク。家の周りとか公園とか。

車だから色々行けますよね。泣こうが何しようがとりあえず乗っけて「ふぅ~」(涼しい顔でハンドルを握るしぐさ)。誰にも迷惑かけないし、もう泣いとけ泣いとけ♪って(笑)。そこは本当に楽になりました。

(移住前は)お母さんと子どもだけで家にいたから、大変な時期もあったと思う。

子どもが小さいうちはね。そりゃ息が詰まることもね。

今は大人がいっぱいいるから、1人に15分預けてもかなり時間稼げる (笑)。僕も自宅の2階で仕事してるので、何かあってもすぐ行けるし。玄気くんの家とも共通するところだよね。

働きに出ていれば、たとえば朝7時から夜7時まで会えなくて、子どもが8時に寝るとしたら、まったくふれあえない。そういう意味では、たまたま手に職があって家で仕事ができるのは、子育て面でもよかったなと。

すごいいい。泣き声が聞こえたら「どうした?」って行けるのは。

来てくれると助かりますしね。

お父さん側としても豊かになる。1日のうちに全然会えないのか、5分でも会える機会がいっぱいあるのかじゃ違うよね。家ではお風呂は必ず僕が入れるし。

―服部家ではお父さんの仕事ってありますか?

入れるときはお風呂に一緒に入ります。

特に役割は決めてないです。やってほしいときは圧力かけますね。いつもお風呂に入れるはずの時間になっても何もしないで、「そろそろ時間じゃない?」とか言って(笑)。

そのために手話を(笑)?

一同:(笑)。

…part②へ続く

※① 吉田さんご一家の移住の詳しい経緯は移住者インタビュー参照
http://towada-iju.com/interview/009.php

今回の取材場所

市民交流プラザ トワーレ

 隈研吾氏設計の市民交流プラザ「トワーレ」は、「みちと広場を融合させたにぎわいの広場」をコンセプトに平成26年10月14日にオープンいたしました。
 イベントの他、市民活動支援ゾーン、たまり場ゾーン、子育て支援ゾーンなど多数の用途で市民から利用されています。
 気軽に立ち寄れる場所となっていますので是非ご利用下さい。
住所:〒034-0011 青森県十和田市 稲生町18-33
TEL:0176-58-5670
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