とわだを読む 日々の語LOG

TOWADA HIBI COLLECTION WEB MAGAZINE

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030 Uターンして濃厚な人間関係の中
面倒なことをやってみたら、人の成長に限界はないと気づいた僕。

十和田市周辺のスーパーでは「コセキの麺」でおなじみ。十和田地域の食卓を70年以上にわたって支えている老舗製麺所が、小関英賢さんの職場であり実家です。東日本大震災を機に生き方を見つめ直し、働き盛りの30代半ばでUターン。その決断は、仕事、家族、人生への向き合い方を変えました。

  • (有)小関麺興商事
    小関 英賢(こせき ひでまさ)

    1981年生まれ。青森県十和田市出身。八戸工業大学卒業。自動車部品製造メーカーのプラントエンジニアとして神奈川県、宮城県各所に勤務。2016年、仙台市から一家でUターンし実家である(有)小関製麺商事に就職。2021年現在、同製造課長。 (公社)十和田青年会議所 2021年度理事長(第65代)。家族は妻、息子2人。

震災を機に、安心して子育てできる場所を求め地元へ

Uターンを決意されたのは、東日本大震災がきっかけだったとか。宮城県にお住まいだったそうですね。

はい。当時は名取市(※)にいました。家や家族は無事でも、目の前からほとんど何もなくなった、というのが実感です。
※宮城県名取市…仙台市の南に隣接し仙台空港を擁する。東日本大震災では震度6強を観測。沿岸部の閖上(ゆりあげ)地区に押し寄せた津波は約8.5mに達し、多くの市民が亡くなる甚大な被害が出た。

それは…大変でしたね。

震災翌日から職場の復旧に必死。当時は長男が生後6カ月でしたが、家のことは妻に任せきりで。苦労したんじゃないかと思います。「こういう人生でいいのかな?」と葛藤していました。「近くに身寄りがいないと大変」ということで、妻の実家がある東京か、僕の地元の十和田に住もうかと話し合いをして、十和田に住むことにしました。

高校進学を機に八戸で下宿生活を始めて、就職で神奈川県に住むことになり、次が仙台勤務。約20年ぶりに地元に住むことになって、不安はありませんでしたか?

僕は次男で、実家の製麺所ではすでに兄が工場長をしてたんですよ。兄に「帰って一緒に仕事していい?」と話したら快諾してくれて。向こうが邪魔じゃないなら帰れるな、と(笑)。問題は収入と休日。収入が下がるのは分かっていたし、自営業だから休めなくなるだろうと。そのことで妻に負担をかけるのが一番の心配事でした。

でも奥様が許してくれたんですね。

う~ん。今まで仲良くしてくれているから大丈夫だったのかな(笑)。今は子どもたちが小学生になって、妻も僕の母が経営する食堂を手伝っています。

Uターン後にマイホームを建てられたとのことで、利用した制度はありますか?

戻るなら家が欲しいと思っていて、十和田市の「移住・定住住宅取得等支援事業」を利用しました。新築費用の補助プラス、子どもがいると1人当たり10万円の上乗せ補助。これは本当に助かりました。
※【補足情報】十和田市移住・定住住宅取得等支援事業補助金
  本市へ転入し、住宅を新築・購入・改修した方へ、経費の一部を補助する制度。
  詳しくは→https://www.city.towada.lg.jp/kurashi/ijuu/ijuu/juutaku-hojo.html (十和田市ホームぺージ)

おうちに関して奥様のご希望は?

せっかく十和田に来たから庭を広く取りたいと。奥入瀬川のそばで八甲田山が見えて、静かだけど交通の便も悪くないってところを選びました。庭でキャンプできますよ。

今も昔も自慢の官庁街通り。遊び場と子育てコミュニティ不足が課題

住んでみて思うことはありますか?

ゆっくりした生活スタイルがあって、みんな穏やか。生まれ育ったところだし、やっぱり落ち着きます。ただ、まちなかは人が少なくてちょっと寂しい。

奥様と十和田について話すことはありますか?

いつも2人で話すのが、子どもの遊び場が少ないってことですね。公園にも学校にも遊具が少ない。自然はいっぱいあるけど、子どもたちの五感を伸ばすには少し物足りないかなって。
車を出さなくても、気軽に子どもを遊ばせながら親同士も交流できるような場所があればいいのになっていうのはありますね。

なるほど。では、今の十和田市の魅力って何でしょう?

自然があるのと、交通の便がいいこと。1時間前後で三沢市、野辺地町、八戸市、山を越えれば青森市にも行ける。それと僕は官庁街通りが子どもの頃から大好きなんです。あの松並木と桜並木の中を歩くのは最高!一番自慢できます。桜の花、新緑、紅葉、落葉と1本の道で四季を感じられて、歩いてるだけで楽しい。現代美術館や市民図書館など、おしゃれな建物もあり、近代的なものと歴史と自然が融合している感じが、ほかのまちにはあまりないんじゃないかな。

食卓でも給食でも愛される「コセキの麺」。地域企業の役割を考える

以前は自動車部品製造の会社でプラントエンジニアをされていたとのことですが、どんなお仕事でしたか?

建物を建てたり壊したり、ごみ処理、排水処理、機械の修理とか。工場と機械のメンテナンスをする何でも屋ですね。

今の製麺業とはだいぶ違うような。

いえ、経験が生きてます。機械が壊れたら外部に出さなくても直せるので、そこは自分の強みかなって。ただ、麺は機械と違って生き物なので難しいですね。毎日毎日見ていないと、表情が変わります。この仕事を始めて5年以上になりますけど、先輩方や兄にはかないません。その難しさが楽しさでもありますし、エンドユーザーの方が食べるところを想像するのも楽しみ。僕も子どもの頃食べていましたけど学校給食もやっているので、小学生の子どもたちに話を聞いたりして。「おいしいよ」って言ってもらえるのがやりがいです。

十和田は家でも学校でも「コセキの麺」なんですね!

僕自身、小学校生活の途中まで知らなかったけど(笑)。十和田市内と三沢市、野辺地町、六ヶ所村、東北町あたりの学校給食として今も提供できているのは、誇りに思う部分です。このエリアではスーパーにも置いていますし。営業が少なくて外部にアプローチできていないのは課題ですけどね。

ちなみに麺の特徴ってありますか?

うちは昔から細ちぢれ麺。以前、試食販売で太い麺を出したら年配の方に「これはコセキの麺じゃない」って言われたくらいです(笑)。それと鍋焼きうどんが昔からの看板商品ですね。特注麵の注文は兄の担当で、十和田市や八戸市の飲食店でうちの麺が使われているんです。

昔から愛されてきた麺屋さんなんですね。お仕事について、これからやってみたいことや目標はありますか?

昔から愛されてきた味を守りつつ、変えなくちゃいけないところも。地域全体で高齢化が進んでいるので、工場も自動化、機械化を進めるべきでしょうけど、逆に機械では出せない手作りの良さに特化したい思いもあります。我々のような小さい会社は、地域で雇用を確保する役割もあるし。

ただ、従業員に休日をしっかり取ってもらうための効率化なら意味があると思います。会社は、ただお金を稼いで税金を納めればいいのかというと、そういう感覚は僕はあまり好きじゃなくて。雇用を確保して、周りに豊かさを提供するのが会社なんじゃないかって。まず働く人にとってやりがいがあるとか、リラックスできるっていう場所になれば、おのずと商品にも反映されるでしょうし、そう思ってもらえる組織づくりを進めていきたいです。

あとは、製麺だけで食べていくのは正直、厳しいのかなと感じます。麺のノウハウを活用して何かできないかと考えています。実は製麺業とは別に個人事業で防災食の販売をしていまして、たとえば麺の缶詰とか…色々考えているので、これからかたちにしていきたいです。食に携わっているからこそ、地域に対して提案できることがあるんじゃないかと思ってます。

働く場所として見たとき、十和田ってどんなまちですか?

前向きなことばかり言いたいんですけど、そうもいかない(苦笑)。昔からの文化を守るのはいいけど、変化しようとする空気、パワーとか心意気が少ないかなと思います。「ここまででいいかな」っていう考えの人が多くて、競争がない物足りなさを感じることがあり、それだと大きい会社に仕事を持っていかれちゃうよって思います。
高齢化が進むにつれて一層そういう空気が強くなってしまうと、若い人たちのやる気が阻害されるかなとか、県外に行きたくなっちゃうかなとか、ちょっと不安な部分もあります。

青年会議所活動でまちおこしをしていても、温度差を感じることがあって。何かやろうとしたとき「僕はいい」「君がやって」とか言われるとちょっとショックですよね。勝手な考えかもしれないけど、そういう人をどうやって前向きにさせるか、考えるようになりました。

「会社」という「看板」を外して、気づいたこと

青年会議所の活動をしていらっしゃるんですね。

40歳で卒業なので、今年が最後です。2021年度の理事長をさせていただいています。帰ってきて「青年会議所に入りなさい」って言われたときは本当に嫌だったんですけど(笑) 、やったら面白くて。すごく勉強になります。

嫌だったのに楽しくなったのは、なんででしょう?

人とのつながりですかね。自分の今までの経験がいかに浅かったかっていうのを、人とつながったことによって知りました。同世代とか年下のメンバーも、人との関わり方がみんな本当に上手。
僕はずっと機械を見てきて、スイッチを入れれば動く、壊れそうなときもすぐ分かる。機械は勝手に変化したり成長していくことってない。今思えばすごく楽なんですよ。
でも人って、感情があって、常に変化していく。時間を共有してずっと変化を見ていくことが大事だし、楽しいなって。仕事以外で自分を広げていけるというか、勉強できることが増えたのが楽しかったんですよね。

人との関わりって面倒なことが多いですけど、その面倒さの中に、成長の種があるのかもしれませんね。

そうですね。ずっとサラリーマンやっていたら…と思うと怖いです(笑)。

怖い?

大きな組織の中で頑張るのも、もちろんいいと思います。給料がよくて休みもあって、そんな生活が続いたのかなとも思うけど、僕の場合は、きっと井の中の蛙になっていた気がします。それはちょっと怖い。以前の生活のままで人として子どもに堂々と背中を見せられたかというと、今はもう想像できない。だから、帰ってきてよかったんでしょうね。帰ってきて、みんなに支えられたのが一番良かった。

ちなみに青年会議所では、具体的にどんな活動をしているんですか?

子どもたちに消防士や警察官などの仕事を体験してもらう職業体験や、十和田市秋祭りで山車の夜間運行をする際に、丸1日プロデュースして盛り上げるとか。今年はコロナ禍だったので、外でデイキャンプをして、川での魚釣りなど、外で体を動かす体験をしました。子どもたちがいい変化をするきっかけになる場を提供できたらと思い、やってきました。

子どもたちのために活動しているんですね。

今までは自分の子が一番かわいかったんですが、戻ってきて子どもの幼稚園で父母会の会長をさせてもらって、考えが一気に変わりました。この元気な子どもたちみんなが20年後、30年後にこの十和田で幸せに暮らすにはどうしたらいいんだろう?って。何をするにも子どもたちの未来を頭に置きながら行動するようになりました。子どもがいなければ、地域の未来は見えませんし。青年会議所の事業も、子どもたちの姿を見て私たち自身が成長することや、気づきが得られることがあります。

青年会議所にPTA。十和田に戻って来なくてもやっていたと思いますか?

いや全然(笑)。十和田に戻ったからかな。十和田に戻って、自分も十和田人に戻れたような感覚があります。

小関さんが考える「十和田人」はどんな人ですか?

すごく優しい。外から来た人にも優しいのが良さだと思います。引っ込み思案なところがあるから分かりにくいだけで。そのことを十和田にいて分かっていたつもりが、外に出たらもっと分かりましたね。十和田にいる頃は困っている人がいたらすぐに助けるのが普通だったのに、外に出てから僕自身、助けなくなったような気がしていました。困った人にすぐ手を差し伸べてあげられるのが田舎の良さっていう気がします。

開拓の歴史がある十和田市。だからこそ、助け合いの精神が受け継がれてきたのかもしれないですね。最後に、これからやってみたいことがあれば教えていただけますか。

コロナ禍が終息したら、この工場でできたてのうどんを食べてもらいたい。製造工程で実際に食べてチェックすると、本当においしいんですよ! 十和田で皆さんが食べてる鍋焼きうどんの麺の茹でたてはこんなにおいしいんだよって、知ってもらいたいですね。

楽しみにしています! 本日はありがとうございました。

ありがとうございました。

今回の取材場所

(有)小関麺興商事

〒039-2372 青森県上北郡六戸町折茂今熊2486
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