今日はご家族みなさんで集まっていただきありがとうございます。まずは、ご家族のことから教えていただけますか。
たかむら やすし
髙村 靖
1987年、北海道道南の酪農を営む家に生まれる。2007年、酪農学園大学短期大学部卒業。農業関連商社のサービスエンジニアとして、農業機械の整備・メンテナンスに携わる。2013年、同郷の妻と結婚。2017年、転勤にともない家族で十和田市に住み始める。その後、定住を決意し搾乳機メーカーに転籍。妻、長女・波未ちゃん(なみ・11)、二女・菜桜ちゃん(なお・8)、長男・海成くん(かいせい・6)との5人家族。
今日はご家族みなさんで集まっていただきありがとうございます。まずは、ご家族のことから教えていただけますか。
はい。僕も妻も北海道・道南の出身で、小・中学校の同級生なんです。子どもは上から小学5年生の長女、3年生の次女、1年生の長男です。
ご夫婦とも北海道ご出身で、同郷なんですね。十和田に来る前は、どんな地域で暮らしてきたのでしょう。
もともと転勤のある仕事をしていたので、住む場所は“自分で選ぶ”というより、会社の辞令で動く感じでした。最初の就職は岐阜で、そのあと長野へ。エンジニアとしてトラクターなど農業機械の修理の仕事をしていました。自然の多い環境でしたけど、海のない土地なのがなんだか、不思議な感じでしたね。
十和田に来たきっかけも、やはり転勤だったのですか。
そうです。前職の転勤で、約8年前に十和田に来ました。次女が生まれる少し前ですね。長女は長野にいるときに生まれていて、次女の出産は一度北海道に里帰りして、そのあと十和田に戻ってきた形です。
移住にあたって、不安はありませんでしたか。
正直、不安というほどの不安はなかったです。それまでの仕事も転勤が多かったので、「次はどこかな」という感覚で、ある意味慣れてしまっていて。ただ、子どもが2人になって、知らない土地での子育てという意味では、妻のほうが大変だったと思います。
奥さま、当時の心境はいかがでしたか。
大丈夫じゃなかったです(笑)。長野でもそうでしたけど、実家も近くないし、子どもが増えていく中で、自分も働きたい気持ちはある。でも知らない土地だし…。子育てと家事だけの毎日になるのは、やっぱりつらいなと思っていました。
長野に住んでいる時に結婚し、その後、十和田へ移ってきたので、「頑張るしかない」という感じでしたね。
あらためて、十和田という街の印象を教えてください。
都会すぎないし田舎すぎもしない、“ちょうどいい”街だと思います。僕自身、あまり大都会は得意じゃないので、ほどよく落ち着いている今くらいの規模感がちょうどいいですね。小さい子どもがいるうちは、とくに暮らしやすい環境だなと感じます。大きい商業施設は多くないけれど、必要なものはちゃんとある。
あと印象というと…実は、十和田に親戚がいると両親から聞いていました。曾祖母の代のつながりらしいので、僕自身は良く知らないんですけど。
そういうご縁もあったんですね。そういえば、髙村さんと同じ“はしごだか”の髙村さんという方は、十和田にはけっこういらっしゃいますね。
では、暮らしやすさを感じるのは、どんな場面でしょうか。
まず、生活の動線がコンパクトです。保育園や小学校、習い事、病院、買い物…どこへ行くにも“片道、車で15分圏内”で収まることが多い。同僚のお子さんがたくさん習い事をしているんですが「送迎の時間が短いからできる」と言っていました。うちは習い事はそこまで多くないですけど、それでも、移動の負担が少ない、「送迎で一日が終わる」といったことにならないのは助かります。
通院など、医療の面はいかがでしょうか。
小児科にはまったく困っていません。朝7時から診てくれる病院が市内にあるので、6時50分くらいに行けば一番で受診できて、そのまま仕事に間に合うように帰れます。 反対に、今は出産ができる病院が市内にないので、これから子どもを産む世代の人には、もう少し選択肢があるといいなとは感じます。
では、食生活は? 変わったところなどありますか。
はい。僕は海沿いの町の出身なので、どうしても“魚のある暮らし”が落ち着くんです。長野にいた頃は、しょっちゅう「魚が食べたい…」と思っていました。十和田市は海には面していないですが、それでもやっぱり青森県は海の幸が豊富じゃないですか。魚のおいしさにあらためて感動しましたね。 お気に入りは「三共魚店」さん。古くからある鮮魚店さんみたいで、鮮度の良い魚が手に入ります。あと十和田は、日本酒もおいしい(笑)!
お肉だったら「野月商店」さん。十和田や周辺の店を知れば知るほど、「食の楽しみが多い土地だなあ」と感じますね。
子育てのしやすさという点では、保育園や子育て支援センターの存在も大きかったそうですね。
大きかったです。十和田には子育て支援センターが7か所あって、うちも系列園も含めて5か所以上見て回ったんですけど、その中で一番安心して通えたのが、子どもたちが通った保育園に併設されているところでした。
信頼できる子育て支援センターを見つけることができたんですね。
保育園選びは、かなりしっかりされたんですね。
はい。ほとんど一通り見に行ったんじゃないかな。
うちはおじいちゃん・おばあちゃんが近くにいるわけではないので、親と違った視点で子どもたちを見てくれる「叱ってくれる大人」が家庭の外にいてくれたらいいなと思っていて。その点、子どもたちが通った保育園は、良いことも悪いことも、ちゃんと言葉にしてくれる園で、私たちに合っていると思いました。
給食は玄米ご飯に梅干しやぬか漬けだし、ジュースやスナック菓子など添加物の多い食品は避けるよう指導されて、スマホやYouTubeを見せていると保護者が先生にチクリと言われる、みたいな園なので、好き嫌いは分かれるかもしれないですけどね(笑)。
でも、私たちみたいに実家に頼れない家庭には、そうやってきちんと向き合ってくれる園がありがたかったんです。 発達障害の子も分け隔てなく受け入れてくれますし、子育てに悩んでいるお母さんの話もしっかりと聞いてくれる。子育て支援センターに遊びに行っている頃から、「ここなら安心して預けられそう」と感じていました。
保育園は見学して選べるほど選択肢が多く、希望した園にそのまま入園できました。待機児童の心配もほとんどなく、納得した環境で子どもたちを預けられたのは、とてもありがたかったです。
転勤で十和田に来られてから8年とのことでしたが、いつ頃、定住を考えるようになったのでしょうか。
きっかけは、私が十和田に定住したいと思ったことです。
それで転職を考え始めました。前の会社は管轄が広かったので、県外の現場まで行くことも多かったですし、転勤の可能性も依然としてある。 でも「ここに定住する」と決めるなら、十和田周辺で安定して働ける仕事にしたいと思って。家族で話し合って、今の会社に転職しました。やはりエンジニアとして、農業機械のメンテナンスをしています。
私もそれまで非常勤で働いていたのですが、2023年に採用試験を受けまして。「ここでずっと働きたいな」「この街で子育てを続けたいな」と思えました。その頃には、子どもたちもすっかり“十和田の子”になっていて、転校させたくない気持ちもありました。
転職時期は2024年8月とうかがいました。
そうです。その前後は有給消化の期間もあったので、ちょうど時間が取れたんですよね。その時期に、家づくりも本格的に動きました。
夫が中心になって住宅メーカー巡りをしてくれましたね。
ハウスメーカーもいろいろ見ましたが、最終的には十和田の工務店さんにお願いしました。社長さんが最初から最後まで一貫して対応してくれて、「この人と一緒に家づくりをしたい」と思えたのが決め手です。大手メーカーだと営業担当さんごとに説明にブレがあったりしたんですが、僕らがお願いしたところは、社長さんが最初から最後までずっと担当で、仕様の説明にも芯があって、話していて信頼できました。
「私たち、十和田の人より十和田を楽しんでるよね」って、私が夫によく言うんですけど(笑)。保育園は私が主導で選んで、家は夫が主導で選んで。どれも“自分たちで選んだ実感”があります。
そして、新居が完成したのが——。
2025年の5月です。完成した家を見たとき、十和田での暮らしが「本当にここが拠点なんだ」と実感できるようになりました。
新築にあたって、移住や定住の支援制度は使われたんですか?
それが、結果的に使えなかったんです。
十和田に来た頃は社宅住まいだったので条件に合わず、いざ「定住を決めよう」と思った頃には、もう転入から年数が経っていて、制度の対象外になっていました。
それは少し残念でしたね。せっかくなら使えたらよかったなと。
でも、それが理由で迷うことはなかったです。「助成があるから建てる」「ないならやめる」っていう話ではなかったので。
そうですね。制度の有無より、私たちは「十和田で子育てを続けたい」という気持ちのほうが強かったので、そこに迷いはありませんでした。
~後編に続く~
転勤でたまたま暮らし始めた十和田が、いつしか帰りたい場所に。
北海道出身の髙村靖さんご夫妻は、3人の子どもを育てながら、暮らしやすさと人とのつながりに支えられて、この街を“家族のふるさと”として選びました。保育園や学校、地域の行事、仕事の変化、そして定住の決め手となった新築まで。十和田での8年間が家族にどんな変化をもたらしたのか、お話をうかがいました。