ウェブメディア『灯台もと暮らし』 編集長
伊佐知美
1986年、新潟県生まれ。横浜市立大学国際総合科学部卒業後、大手信販会社、出版社勤務を経て独立。これからの暮らしを考えるウェブメディア『灯台もと暮らし』(もとくら)編集長・ライター・フォトグラファーとして日本全国・世界中を旅しながら活動中。オンラインサロン『伊佐知美の #旅と写真と文章と Slackコミュニティ』主宰、著書に『移住女子』。
灯台もと暮らし http://motokurashi.com/
TURNS編集部 企画・地域コーディネーター
須井直子
1988年、横浜生まれ。大学卒業後、広告代理店・不動産業を経て、2015年より株式会社第一プログレスにて「TURNS」の企画・運営に携わる。郊外育ちで、田舎暮らしはもちろん一軒家で暮らしたこともないが、この夏に5歳の息子と1週間のお試し青森移住を体験し、すっかり青森暮らしに魅了された。
TURNS
https://www.turns.jp
渡部環境設計事務所
横濵久美子
1980年東京都稲城市生まれ、北海道網走市育ち。東京の大学院修了後は個人建築設計事務所に所属し、主に住宅設計を手がける。2011年、個人事務所設立。14年、青森県野辺地町で両親と祖母のために「榑縁(くれえん)の家」を設計。16年1月に移住し、同年3月、長男を出産。
渡部環境設計事務所
http://watabe-aa.com/
NPO法人奥入瀬自然観光資源研究会(おいけん)事務局・ガイド
玉川えみ那
1985年、十和田市生まれ。大学進学とともに上京し、卒業後は都内の写真関連会社に就職。父親が奥入瀬で事業を興したことをきっかけに故郷への思いを新たにし、2012年にUターン。結婚を機に、2013年に夫も県外から移住。現在、ネイチャーガイドとして日々奥入瀬の自然と向き合い、その魅力を発信している。
奥入瀬自然観光資源研究会 https://www.oiken.org/
字と図 ライター
吉田千枝子
1975年生まれ、十和田市出身。2013年に家族でUターン。グラフィックデザイナーの夫・進さんと制作ユニット「字と図」を結成し、イベントプロデュースなど活動の幅を広げる。現在の家族は千枝子さんの祖母、両親、小学2年生の長女と2歳の次男。
字と図
http://jitozu.com
司会
柳澤ふじこ
1978年、青森県中泊町生まれ。フリーアナウンサー・産業カウンセラー。ラジオパーソナリティとしてはFM青森「ヒルモット」などに出演中。県内を中心にテレビ出演、イベントMCも数多く務める。NPO法人プラットフォームあおもりサポーター。
さて、この後はトークセッション。十和田に移住した3人の女性をスピーカーとしてお呼びしております。まずは東京都からIターン移住をした、横濵久美子さんです。
よろしくお願いします。
東京都からUターンした玉川えみ那さん。
よろしくお願いします。
続いて、東京都からUターンした吉田千枝子さん。
よろしくお願いします。
アーンド引き続き編集女子のお二人。ではまず自己紹介からしていただきたいと思いますが、横濵さんからお願いします。
初めまして。渡部環境設計事務所の横濵です。出身は東京で、2016年の1月に夫婦で移住してきました。その後3月に息子を出産しまして、今1歳8カ月になります。夫婦で内装、住宅、大きな建物まで設計できる事務所を自宅の一角に開設しています。私たちはIターンなので、知り合いも仕事もないまま移住してきました。最初は心配なことも多かったんですが、なるべくイベントに参加するようにして知り合いを増やしたり、その知り合いがまた他の方を紹介してくれたり、市役所の方の協力もあって、東京にいた時よりも地域の方と交流できているなと感じることが多くなりました。
ありがとうございます。子育てをしながら一級建築士としてご夫婦でお仕事をなさっているんですよね。お隣、玉川さんお願いします。
玉川えみ那です。出身はここ十和田市で、大学進学を機に一度、東京・神奈川方面に出まして、2012年に戻って参りました。今の所属は、NPO法人奥入瀬自然観光資源研究会っていう、すごい長たらしい名前のNPOです(笑)。通称「おいけん」と呼んでおりまして、そこで私は奥入瀬のガイドをしております。滝とか流れとかを説明する普通の案内ではなくて、コケをテーマに、コケを通して奥入瀬の魅力を伝えるようなことをしています。Uターンした理由も、奥入瀬渓流が好きで、何とかしてその魅力を発信したいという思いでした。その時は思っているだけで、ガイドになるなんて思いつきもしなかったんですが、周りの影響もあって、ガイドという仕事につながっています。
ありがとうございます。よろしくお願いします。では続いて吉田さん。
吉田千枝子と申します。よろしくお願いします。私は5年前ぐらいに、第2子の出産を機にUターンしました。東京にいる時は月刊誌の編集をしてて編集女子だったんですけど(笑)、こっちに来て仕事を始めるとなった時、一人じゃ仕事がないかなと思って、グラフィックデザイナーの主人と一緒にやったらいいんじゃないかと結成したのが「字と図」です。今はありがたいことに色々お仕事をいただいて、何とか暮らしてます。
ありがとうございます。今のお話で、ゲストのお三方が何をされているのかは分かりましたよね。ここでもう少し詳しく、移住のきっかけについて聞いてみたいと思います。スライドも用意していますので、横濵さんから。
はい。このスライドに映っているのは、私の両親の家ですね。両親がリタイア後、野辺地町にUターンするということで私が設計しまして、「榑縁(くれえん)の家」という名前をつけました。この建物を建てる時はまだ東京と行き来して進めていたので、青森市の建築家に協力してもらったんですね。その方に「青森の建築家は60代ばかりで若手がいないから、こっちで仕事してみたら?」と言われまして、それまで移住を考えていなかったのですが、その言葉がきっかけで考える様になりました。そのことをパートナーの渡部に話したら「話を聞きに行こう」と。すぐ青森に2人で行きまして、話を聞いてわりとすぐに移住を決めました。
すぐにっていうのはちょっとびっくりですね。
私よりは渡部の方が乗り気になっちゃって(笑)。私は両親も近くにいるし、いいんだけど、あなたもいいのね?って。
ありがたいパートナーですね。じゃあ不安はあまりなかった?
仕事があるのか、友人は出来るのか、不安はたくさんありました(笑)。その時はまだ「青森に住もう」くらいの決め方だったんですが、具体的に考える中で十和田は6万人ちょっとの街に世界的建築家の作品が3つもあるんですね。このトワーレも隈研吾さんの設計ですし、美術館は西沢立衛さん、図書館は安藤忠雄さん。日本全国でもなかなかこんな街はなくて、アートとか建築とかデザインに対して理解がある街なのかなと感じて、候補はいっぱいあったんですけど2人とも十和田が良いなと意見が合って決めました。
先ほどのトークで編集女子が「都会的な洗練も感じる」という話をされていましたが、同じような感じですかね?
青森県には、祖父母がいたので子どもの頃から来ていて田舎という印象は強かったですが、その中でも十和田は田舎臭くないなっていう風には感じました。
吉田さんは首傾げてますね(笑)。じゃあ実際に住んでみてどうですか?
移住前にちょうど妊娠して、子育てについて考えるようになったんですね。野辺地町の両親のそばに住むのが楽なのかもしれないけど、ちょっと街の規模が小さいように感じて。子どもの選択肢が狭まってしまうかもしれないなと。でも八戸市とか青森市だと逆に規模が大きすぎて、全体像が把握できない。そう考えた時に、十和田は街全体が見えるぐらいの大きさで、選択肢も十分にある、私にとってちょうどいい街だなと思い実際に住んでからもしっくりきています。
「全体像が把握できる」っていうのは、建築士として?
私の性格的なものかもしれませんね。例えば保育園に通うにも、八戸とかだと数が多すぎて全体が見えないけど、十和田だと全体が掴めて、かつ選択肢は程よくある。自分で調べた上で、納得して選べるかなと。
すごく分かります。私は横浜市に住んでて、もう調べるのに疲れちゃうんですよ。調べて選んだところで、それが叶うとも限らないし。待機児童問題もあるし。
なるほど。私は青森県民なので、その「ちょうどいい規模感」というのに気づきませんでした。玉川さんと吉田さんは十和田出身で高校生まではこちらですよね。その頃って街の規模とかって考えていました?
いやぁ、考えてませんでしたし、吉田さんと話していたんですが、「田舎臭くないよね」と言われても「そうかな~?」って(笑)。あまり意識しなかったんですよね。地元の人ってあまり考えないと思う。
やっぱりどうしても、都会と比べて足りないものを求めてしまうというか、特に10~20代の若い頃って、足元にあるものに気づけないことが多い。この「ちょうどいい」っていう言葉がキーワードで、それが心の安定にもつながっている気がしますよね。続いて玉川さんのお話に移りたいと思います。
はい。もともとは父が、十和田の自然の良さを伝えるアウトドア会社を始めたのがきっかけかな。それまで私は奥入瀬渓流について考えることなんてほとんどなくって、「近くにある観光地」ぐらいで。だから「なんでお父さんはそんなこと始めたんだろう?」って興味がわいたのが、奥入瀬の自然にハマるきっかけでした。カヌーツアーとか、その会社でやっている色々なアクティビティに参加してみて、地元の自然に対する印象がガラリと変わったんです。「こんな近くにこんな素晴らしいものがあるんだ」って目から鱗が落ちたというか、すごく衝撃的で。それからですね。よく帰ってくるようになったのは。街から車で30分、十和田湖は1時間くらい。こんなにアクセスが良くてこんな素晴らしい自然の中に来られるなんてすごい!って考えに変わっていきました。それは自分で感じたり考えたこともあるんですけど、教えてくれた人もいっぱいいたんですね。ネイチャーガイドとして移住してきた方に奥入瀬のことを教えてもらって魅力に気づくことが、すごく多かった。例えば、私が所属している「おいけん」の理事長は河井大輔といって50歳ぐらいのおじさんなんですが(笑)、全国のブナ林を歩いて、その中でここが一番だと言って移住してきた。河井と森を歩くと、森の中がとても幸せな空間に感じられる。家から30分ぐらいのところでこんな幸せを味わえるなんて、私の中ではすごい驚きでしたし、この感動を次は誰かに体験してもらえたらなと、ガイドを目指しました。
初め興味がなかったのは、教えてくれる人がいなかったのも大きいかもしれませんね。
奥入瀬に関する授業もなかったですし、遠足で行った記憶も私にはなくて。
何かのたびに連れて行かれるけど、自分から行きたいとは思わなかったかも。紅葉の時期は混んでるし。
車酔いするし。当時はあんまりいいイメージないですよね。
こんな二人を見て、編集女子はどうですか?
教えてくれる人が大事っていうのは同感です。私も最初にえみ那さんにガイドしてもらう時は「え、コケ?」って戸惑いましたから。でも、もう、すごくきれいで! 皆さん知ってます? コケの美しさ。私はルーペを持って見ていたんですが、他の人は持っていないから、「ちょっと待って、見てこれ!」って声をかけようかなーと思っちゃうくらいでした。今までにない視点をいただけたというか。私、雨が嫌いなんですね。それが、最初に来たのは2017年5月ぐらいだったかな? その時、雨の中のコケの美しさを知って。以来、梅雨時に他の土地に行っていても、雨を見ると「今日は奥入瀬のコケがきれいだろうな」って思いを馳せてました。美しさを教えてくれる人がいるっていうのはすごく影響を受けますよね。玉川さんが(奥入瀬の良さを)子どもたちに伝えていくと、今までとは違った感じで育っていくと思うので、ぜひぜひやっていってほしいな。
子どもたちがずっとここに住むにしても、私たちみたいに県外に出るとしても、十和田市に生まれ育った意味、価値みたいなものを一つでも知っているのと、そうでないのとでは、後々全然違うと思うんですよね。そういう地域の良さを学ぶ機会が今は少ない気がします。
前回出演したアレックスが、青森や十和田の魅力を子どもたちに伝えるために、地元の学生と交流したいと言っていましたね。移住された方々が、十和田の魅力を新たに再発見しているのがすごく素敵だなと思いますし、ここに来てくれたお三方は、大人になってから再発見されている方。いいなぁ。
色んなものが身近過ぎて気にならないんですね、きっと。十和田に住んでる人が奥入瀬を知らないはずはないと思うんですよ。でも知ってて当たり前だから、素敵なものに見えてない。観光パンフレットには絶対載ってるけど、載ってる場所ってあんまり惹かれないじゃないですか(笑)。
なんなら載ってない場所見つけたいですよね(笑)。
そうですよね。奥入瀬を知らない人はいなくても、何があって、どんな人がどんなことをしてるかまでは知らないんじゃないでしょうか。皆さんもぜひ実際に足を運んでみてほしいと思います。それから河井さんが全国でも一番のブナ林だとおっしゃっていたように、奥入瀬の自然は特別で、森が”白い”と言われていると以前、取材でうかがいました。北海道の原生林だとクロマツとか、暗い色の木が多い。でも奥入瀬は、植生の関係で、夜になっても明るい森だと。コケも、奥入瀬だからこそ見られるものもあるんでしょう?
そうですね。日本だと1800種類ぐらいあって、奥入瀬は300種類ぐらい。コケは環境に敏感な植物なので、たくさんあること自体が自然度の深さを表しているので、それだけでも奥入瀬の価値を知ることができると思います。
…part③へ続く。 → http://towada-iju.com/collection/webmagazine/013
今回の取材場所
市民交流プラザ トワーレ