移住者インタビュー

今はここが運命の場所だったと胸を張れます。

COLLECTERS INTERVIEW#002

奥入瀬モスボール工房 工房長

起田 高志さん

出身地:青森県十和田市(Uターン)
移住年:2011年夏
職 業:こけ丸め職人

人の心を動かす仕事をしたくてプロレスラーになった起田さんですが、怪我によって志半ばで夢を諦め、故郷、十和田市に戻ることに。現在、奥入瀬渓流の大自然に囲まれて苔玉職人として活動しています。人の心を動かす仕事を、ここ十和田でも実現しています。

奥入瀬モスボール工房:http://www.mossball.jp/

こけ玉は小さな奥入瀬。

 「こけ玉」とは、植物の根を土でくるんで球状にしたものをコケで包み、糸で縛ったもの。丸いフォルムがかわいらしく、インテリアとしても人気の園芸アイテムです。このこけ玉を奥入瀬渓流のほとりで製作・販売しているのが、奥入瀬モスボール工房長の起田高志さんです。こけ玉作りや、自家栽培のひょうたんを使った “奥入瀬ランプ”制作のワークショップが人気です。
 「こけ玉やランプなら、都会の限られた生活環境の中でも楽しめる。こけ玉は掌に収まる自然。“奥入瀬の小さな自然美”を持って帰っていただくつもりでやっています」
 十和田市で生まれ育った起田さんは、アメリカンフットボールやプロレスで鍛えぬかれた体と、自然をこよなく愛する穏やかな性格の持ち主です。前職のプロレスラー時代から厳しい練習や激しい試合の後、心を静めるためにこけを丸めていたのだとか。
 2011年にUターンしたきっかけは、試合中に頬を骨折し、引退せざるをえなくなったことでした。手術後のベッドで1人将来を考えた時、頭に浮かんだのがこけ玉だったといいます。
 「もともと、格闘家というよりは人の心を動かす仕事がしたくてプロレスラーになったんです。だったら生き方を変えずに手段を変えよう。プロレスをこけ玉に変えても感動を与えることはできると思ったんです」

※奥入瀬渓流は、特別名勝かつ天然記念物に指定されているため、自然に生えているコケなどは持ち帰ることはできません。起田さんがこけ玉づくりで使用するこけや植物は、園芸業者から仕入れたものを使用しています。

十和田の当たり前が世界の憧れ。インターネットで発信。

 当面の生活や資金面を考え、拠点は家族のいる十和田に決めました。試作品とビジネスプラン作りに明け暮れていた頃、新聞記事により奥入瀬でコケの調査が始まったことを知ります。車で30分ほどの奥入瀬渓流に出かけると、そこには一面、コケのじゅうたんが広がっていました。
 「岩の上に生えたコケを苗床にして、シダ類や樹木が茂ってる。天然のこけ玉だらけだったんです。運命を感じましたね」
 渓流館内に工房をオープンしたのは2012年夏。メディアで取り上げられるなどじわじわと評判は広がり、今では日本全国はもちろん、海外からもゲストが訪れます。
 起田さんが得意とするのは、インターネットを活用した情報発信。ブログ・ツイッター・フェイスブック・インスタグラムを毎日更新し、その日の奥入瀬の様子を発信しています。ブログの閲覧件数は月間30~40万PVと、青森県屈指の発信力を誇ります。
 「十和田の当たり前の暮らしが広い世界の中では憧れなんですよね。僕も帰ってきて初めて気づきました。だからそのライフスタイルをネットで世界中に発信して、自慢しているんです。静かな雪原から芽吹きの春、雨の日のコケの輝き。奥入瀬って、春夏秋冬、天気や季節に関わらず、毎日見ごたえがある。日々表情を変える大自然が、車からひょいと降りたら広がっている。このギャップが特徴だと思います」

運命の場所から世界に通じるブランド作りを。

 明治の文豪・大町桂月や岡本太郎など、多くの芸術家にインスピレーションを与えてきた奥入瀬渓流が、今また起田さんに大きな夢をくれました。
 「奥入瀬の魅力で青森と世界をつなぐ。ここから世界に通じるブランドを作ろうと思っています。そのためにこけ玉だったりランプだったり、そのアイテムを求めに訪ねて来てもらえるようなパワーのあるものを作りたい。英語も必要になるので勉強し始めました」
 その言葉通り、2015年には約2週間にわたり台湾の百貨店に出展し、初の海外進出を果たしました。念願の1つだったスタッフ雇用も3年目にして実現。散策ガイド付きワークショップも構想中と、着実に歩を進めています。
 「十和田は昔から観光客の多い土地だからか、受け入れてもらいやすい地域性だと思います。僕も帰ってくるきっかけはポジティブとはいえませんでしたけれど、今はここが運命の場所だったと胸を張れます。興味を持った方はまず奥入瀬に来て、歩いて、空気を感じてみてください」

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