とわだを読む 日々の語LOG

TOWADA HIBI COLLECTION WEB MAGAZINE

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絶望を味わった僕は、十和田で新しい人生を始めたかった。
~冨田さんがそこそこのお金で楽しく暮らしている理由~

十和田市法量、奥入瀬川に面した「十和田自然農楽郷(のうがっこう)」。
木漏れ日の下、よく手入れされた栗林に足を踏み入れると、
焚き火を囲んで笑いさざめく老若男女の姿が見えてきました。
今日は月に一度催されている「せせらぎと焚き火を眺めるだけの会」。
会の主催者は、移住9年目を迎えた冨田哲也さん。
今回は「移住で人生をリセットしたかった」と話す冨田さんの歩みに耳を傾けます。

  • とみた てつや
    冨田 哲也

    1985年生まれ。東京都出身。沖縄県宮古島市を経て2014年、十和田市に移住。ステーキ店、ラーメン店、給食施設などに勤務した後、地場産品を使った加工食品の開発・販売をスタート。冨田食品工房 代表。せせらぎと焚き火を眺めるだけの会 主催。十和田こども食堂実行委員会 料理長。親子でゲーム会 副代表。

“都落ち”から「めっちゃ楽しい」へ

「せせらぎと焚き火を眺めるだけの会」に初めて参加しましたが、皆さん楽しそうですね。毎月開催されているんですよね?

2022年11月に始めて今回でちょうど一回り。来月から2周目に入りますね。最初は本当に焚き火だけのつもりが、みんな食べ物を持ってきてくれるので、僕は告知と火の準備だけ。後はみんなの好きにしたらいいねって感じです。

東京のご出身なんですね。2014年に移住されたのにはどんな経緯が? 

移住はズバリ言うと、パニック障害という病気になったのが原因なんです。20歳ぐらいから10年弱、沢山の薬を飲みながら社会生活を続けていた状況だったのですが、限界を感じ…。当時からお付き合いしている彼女と一緒に、僕の母が住んでいる沖縄の宮古島市に移住しました。でもあんまり良くならなくて。そうするうちに彼女が「じゃあ私の実家に来なさい」と。それが十和田市でした。当時はもう都落ちっていうか、そういう感覚があって、田舎で人生リセットしたい、そんな気持ちで移住しました。

移住後はどんな風に過ごされていたのですか?

移住後すぐにステーキ屋さんのホールで働いて、その後はラーメン屋さんと給食施設。最初の頃は出会う人から「なんでこんな何もないところに移住してきたんだ」とか、ネガティブなことをたくさん聞きました。そもそもネガティブな理由で来ているのだから、すぐに病気を治して東京に帰ろうって、初めは思っていました。

でも、3年ぐらい病院に通っていたら薬の量もどんどん減っていき、病院から薬をやめる判断が出て、さらに1年ぐらい経過報告に通って、治療を卒業みたいなところまできました。そうなると「なんか十和田は居心地がいいかも」と気付いたんです。そして、日が経つにつれて十和田市にポジティブな動きってないのかな、と思い始めたわけです。そこで出会ったのがビーコーズさんでした。

※ビーコーズ https://towada-iju.com/collection/webmagazine/038

2年ぐらい前に「地域の場づくりラボ」って企画が始まって、やりたいことを発表しよう、やってみようという集まりに参加しました。僕は、飲食店をやりたいような気がしていたんです。だけど、借金をして事業計画を出して…とかまでは想定できなかった。だから例えば、1日限定の間借りお試し営業で、ちょっとお金を払ったら、あとはやるだけみたいな、そのぐらいハードルを低くやりたいっていうことをその場で喋ったんです。そしたら、じゃあやってみなよとどんどん話が進み、コミュニティカフェ「second.」を借りて1日限定チャレンジショップをやることになりました。

実際お店をやられてみていかがでしたか?

「ブタライス」という、豚骨ラーメンのご飯バージョンみたいなものを提供しました。オープンした瞬間に席がすべて埋まって売り切れになりました。新聞の取材も受けましたし、色々な人が応援してくれて、実際にお店をやってみたら、すごく楽しかったんです。
ビーコーズさんとか、そこに集まる人とか、ポジティブな人に囲まれて、僕も影響を受けたのかもしれません。やってみたいことを「やってみたいんだけど」って誰かに言えるとか、言える場所があるって、もしかしたら結構すごいことなんじゃないかなと思っています。

なるほど。ビーコーズさんに出会って、行動してみたのが大きかったわけですね。焚き火の会を始めたのも出会いがきっかけですか?

そうですね。チャレンジショップの時に十和田こども食堂実行委員長の水尻さんがfacebookを見てくれていて、それがきっかけでこども食堂を手伝いに行くようになりました。僕が20代からずっと飲食・食品関係の仕事をしてきたのと、学校給食仕込みの衛生管理で「こうしましょう」と提案していたら、今では、こども食堂の「料理長」として参加させていただいています。
この場所、十和田自然農楽郷を訪れたきっかけも、ここのオーナーの中川原さんと水尻さんが知り合いだったからです。中川原さんに、ここで何かやってみたいと伝えたら「いいよ」と言っていただきました。僕は十和田に来てから初めて焚き火っていうものを間近で見たのでいいなと思っていて、シンプルに毎月1回、せせらぎと焚き火を眺めるだけの会を始めたんです。

初回は、22人来たんですよ。「焚き火やるんだけど来ない?」って言ったら、22人集まりました。それも仲良くなった人にちょっと声をかけただけ。それなのに20人以上集まる環境って、とっても楽しいわけですよ。

すごいですね。今回も老若男女が集まっています。

ここにいる人はオーナーの中川原さんが一番年上で、下は3歳の子どもが来たこともあります。お母さんたちは「たまには子どもから解放されたい」、迎える年配の人たちは「たまには子どもと遊びたい」。おじいちゃんと孫みたいな関係で遊んでいるのを見ながら、お母さんも安心してお喋りしているっていう風景を見ると、これはちょっといい会を作ったなと自分で思うことがあります。
「誰も知っている人がいないんですけど」って方も大丈夫です。人とコミュニケーションを取りたくてうずうずしている人がいれば、ここに来れば誰か話せる人が見つかると思います。場所の力なのかな、常連さんも初めましての人もいますが、すごく和やか。ちらほら深刻そうな話も出ていたりしますが、そういうことも言える場所になったらいいなって思います。

十和田産でガリポ開発。小さな商売の始め方教えます。

ご病気をされてから、こうして自ら会を主催されるまで元気になられたって、とても大きな変化ではないですか?

周りからも「元気になった」って言われるんですよ。移住の経緯を知っている人からは「そろそろどこかへ行っちゃうのかな?」みたいに言われることもあるんですけど。今は本気で、死ぬまで十和田市に住むつもりでいます。

なぜそう思うようになったのですか?

やっぱり人とのつながりです。
この人たちとずっと一生付き合っていきたいなって思う人がいっぱいできちゃったからだと思います。
たとえば僕、水尻さんに相当お世話になっているので、水尻さんが亡くなったらすごく泣くと思うんです。そういう風に思える人がたくさんいるって大事なことで、そうなると、十和田市から離れる理由がありません。地域を盛り上げようと活動する人がいれば応援したいし、徐々にではありますが、そう思うようになっています。

大事な人がたくさんいるって素敵ですね。

だからUターンを考えている人には「都会で消耗しているんだったら帰ってきなさい」って言いたいです。都会からUターンした人の中にはメンタルが原因の人もいて、僕が平気で「病気になったから気持ちをリセットするために来たんだよ」って言うと、「仲間がいるような気になって良かった」っていうこともあるんです。そこで、例えば、こども食堂に誘ってみたり、スマイルラボっていうNPO法人さんが開催している「しゃべり場」に誘ってみたり、気が合いそうな人を紹介したり。その結果、その人が楽しくなってくれて、その人といい関係になれれば、僕も自分の生活が豊かになるわけですよ。

そうですよね。でも、Uターンするとなると、仕事のことも大きいですよね。

そこは難しいですよね。でも、僕はお金はないけど、お金がなくても楽しく生きちゃっているんです。今は週2回、介護施設の調理の仕事で最低限の収入を稼がせてもらいつつ、あとの時間はこうして自分の好きなことをしたり。あと冨田食品工房の仕事もやっていたり…なんとかなるのかな。

冨田食品工房では、「十和田ガーリックポーク」の背脂と十和田市産にんにくを使った「ガリポ脂にんにく醤油味」を開発・販売していますね。

ステーキ屋さんで働いている時に思っていたんです。脂身はほとんど捨てちゃうので、もったいないなと。ガーリックポークを生産している「みのる養豚」さんに知り合いがいるので、その背脂を使わせてもらって加工品を作ることにしました。そして、六戸の農作物加工研究所に相談しに行って、十和田市が開設する食品加工室で営業許可を取って、試作品を作って、販売用のECサイトでアカウントを作って…ってやっていたら、十和田市の商品開発補助金の話がきて。採択していただきました。

素材はできる限り十和田産にこだわったので、ラベルデザインも十和田でと思っていたら、「字と図」の吉田さんが手がけてくださいました。今は十和田市のふるさと納税の返礼品にも入れていただいていて。だから、もしこれから自分で瓶詰め加工品を作りたいという方がいたら、一通りお教えしますよ。

※「字と図」の吉田さん https://towada-iju.com/interview/009.php

あとはね。仕事のことで言うと、色々な人と知り合うようになると「手伝ってほしい」っていう話はけっこう出てくるんですよ。それをもうちょっと仕組み化して、お仕事のマッチングみたいなことができれば、Uターン勢はかなり役立つのではないかと考えています。もし人とのつながりがなくて困っている人がいたら、僕が思いっきりつなげます!

心強いお言葉です。

人口減少は”量より質”で解消⁉ 移住者が人とつなげるきっかけになれたら

親子でゲーム会の副代表もされていますが、これはどういうきっかけですか?

農作物加工セミナーに参加した時に代表の竹ケ原さんと知り合いました。僕、興味を持ったらすぐに人に話しかけるんです。「何か考えていることあるんですか?」みたいなことを話していたら、「一緒にできることがあればやろうよ」って話になったんです。ちなみに、「絵本とサンポ」のご夫妻も、別のイベントで竹ケ原さんと一緒に声をかけさせていただきました。

※「絵本とサンポ」https://towada-iju.com/collection/webmagazine/035

どんどんつながりができている感じですね。

とにかく人とつながることには熱を入れています。やっぱり、ビーコーズさんの存在は大きいですね。チャレンジショップをきっかけに楽しい人がいっぱいいることに気づきました。さらに、そういう人たちに会いに行こうとしていたら、どんどんどんどん楽しくなってきた感じです。それまでは、十和田に楽しいこと考えている人なんていないと思っていたぐらい(笑)全然違いました!

気持ちよく人とつながるコツみたいなものってありますか?

自分をお客様にしないことですかね。誰かと会うときに「僕を楽しませてください」っていうスタイルはよくないかなと思います。気を付けることは、この点だけだと思います。「応援してくれるんですか?僕に何かしてくれるんですか?」というのではなく、「こういうことをやりたいんですけど、こういうところを助けてもらえませんか」というような、謙虚な姿勢が人とのつながりには必要だと感じています。

これからも十和田に住み続けるおつもりとのことでしたが、今後の目標はありますか?

僕の最終目標は、僕が死んだときに十和田市中の人が全員、葬式に来てくれることです。そのためには今のうちに十和田市民みんなと良好な関係を築いておきたいんです。みんなと深く仲良くじゃなくてもいいんです。深い関係は深い関係で、疲れちゃったりもするから。広くても心地よい関係を追い求めていきたいなって思っています。

あとは人と人をつなげたい。面白い人はいっぱいいるんだけど、元からの住民の方ってお互いがやっていることにあまり干渉し合わないんです。悪いことではありませんが、一緒にやれば面白いことができるのにって思っちゃうんです。「カレーのルー屋さんとライス屋さんが別々に動いていて、なんで一緒にカレーライスを作らないの??」みたいな話なんですよ。そのぐらいの親和性があるのに、もったいないと感じてしまいます。
接点の持ち方がわからないのだと感じていて、何かきっかけがあればつながれるんじゃないかと思うんです。例えば、僕みたいなしがらみがない人がいると、交わりやすいんですよ。「ちょっとあの人と会ってみなよ」って、こうやって焚き火の会があれば、仲良くなったりするから。そういう場所を大切にしていければな、と思います。

移住者が新しいつながりのきっかけを作れるって、いいですね。ますますのご活躍を楽しみにしています。今日はありがとうございました!

ありがとうございました。

今回の取材場所

十和田自然農楽郷(のうがっこう)

〒034-0303
青森県十和田市大字法量字前川原16番地1
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