とわだを読む 日々の語LOG

TOWADA HIBI COLLECTION WEB MAGAZINE

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移住×起業×Wワークで叶えた、
“自分にとって大切なもの”に囲まれる暮らし ―前編―

「お試しとわだ暮らし」への参加をきっかけに、わずか半年後には
十和田市に移住した清水まりえさん。
フリーランスで企業の採用支援などを手がけながらWebショップを立ち上げ、
移住から約1年で市街地に店舗も構えました。
自分に合う土地と働き方を選び取り、仕事と暮らしをボーダレスに楽しむ彼女に、
移住の経緯から野望までを聞きました。
インタビューは清水さんのお店Schuzlmithernic Life (シュツルマイザニックライフ)にて。
前後編でお届けします。

  • しみず     
    清水 まりえ

    東京都出身。飲食サービス企業の店舗運営、マーケティングを経て、ケータリング企業の立ち上げ・マネジメントを担う。2022年に十和田市へIターン。2023年に法人設立。青森県内の食品を中心に、日本の食の魅力を発掘・発信するWebショップ&店舗「Schuzlmithernic Life (シュツルマイザニックライフ)」を運営。フリーランスで企業の採用支援も行う。
    ●Instagram https://www.instagram.com/mariei432/?hl=ja
    ●EC Shop https://schuzlmither.official.ec/

決め手は“お試し”で出会った移住の先輩たち

(店内を見渡しながら)商品のセレクトはご自身でされていると思いますが、何か基準があるんですか?

「自分が好きか」という感覚的なものもありつつ、基本的には昔からその地で愛されているものが基準としてあります。目新しいものよりも、パッケージのデザインとかも含め「昔からあるよね」っていうようなものをメインにしつつ、やっぱり味が1番大事。長く愛されるおいしいものを見つけて作り手さんに会いに行くと、大体素敵な人たちばかり。そのストーリーなどを聞くとさらにファンになっちゃって。それでここに並べている感じです。

今、アイテム数はどのくらいあるんですか?

おそらく20~30種類ぐらいです。普通のお店に比べると全然少ないです。自然のものを取り扱っている小規模の作り手さんなので、時期が終わったらもう作れないとか、売り切れたら来年までないとかで、すぐ品切れになっちゃうんです。安定供給は無理ですね(苦笑)。

今はいつでも何でもあるのが当たり前ですが、自然の仕組みとして季節があり、時期ごとに穫れるものが変わるから、よく考えたら仕方ないことですよね。

そうなんです!まさにそれを伝えられるかなと思って。今は店頭にないけれど、今年穫れたリンゴのジュースが11月に加工されて、今(12月初旬)瓶詰めされて、やっと来週取りに行けるんです。私は東京出身なので、リンゴなんて年中スーパーにあるし、リンゴジュースもいつでもスーパーにあると思っていました。だけど、こっちに来たら「そっか、旬がありますよね…」みたいな。そういうところを伝えられたらと思っています。

なるほど。ご出身が東京なんですよね?

生まれも育ちも東京です。

「お試しとわだ暮らし」を経て移住されるまでずっと東京にいらしたのですか?

※お試しとわだ暮らしとは → 公式サイト https://otameshi-towada.be-cause.co.jp/

そうです。

移住はどうやって決めたのですか?

もともと東京から出たいっていう思いはずっと持っていました。東日本大震災や新型コロナウィルスも東京で経験してきて、「インフラが止まったら、この街はどうなってしまうのだろう」みたいなことを感じていました。本当に困った時に生きてく術を私は東京で全然身につけられていないし、この街で生きている人たちが、ここで食べ物を自分たちで作ることもできないし、自分の中では、東京にずっといるのは違うなと感じました。
自由が丘の近くに住んで、仕事は新宿や中目黒のあたりが多く、雑誌やCM撮影現場のケータリングの事業をやっていて、メディア系のところに顔を出していたので、すごくいい経験をさせてもらっていたとは思いつつ、どこかで限界を感じてもいました。だから移住先を全国で色々考えていたんですけど…まず、私は体質的に北の方が合うんですよね。

色白でいらっしゃるので、分かる気がします(笑)。青森の人も色白の方が多いですし。

学生時代に1人旅をしてた時に、スイスの気候がすごく合って、呼吸がしやすくて。でもイタリアに行くと、ちょっと苦しい…みたいな。季節も冬がとても好きで、暑い土地は無理だなって思っていました。だから東京より北って考えたら、東北、北海道…かなと。
あと私、9年前ぐらいに十和田で1人旅をしたことがあって。それは十和田市現代美術館の、ロン・ミュエクのおばあちゃんのオブジェ(スタンディング・ウーマン)を見たいがためだったんですけど、それで「十和田」っていうワードだけは頭に残っていました。そして「十和田」「移住」で調べたら「お試しとわだ暮らし」をちょうどやっていた時期で、それで応募したという背景があります。

お子さんを連れて来たんですよね。

子どもが1歳の時に「お試しとわだ暮らし」に参加して、2歳の時に移住しました。

「お試しとわだ暮らし」では、交流会に参加したんですよね。

さまざまな移住者さんとご一緒して。「うん、 ここなら私は大丈夫だ」みたいな謎の安心感をいただきました。

安心感ってどこから感じたんでしょうか?

テンポとか雰囲気とか…言語化が難しいのですが。つかず離れずの距離感があって、かつ「14-54」というお店のキミちゃんって方がすごくよくしてくれたりして、安心感が生まれました。

当初は、青森は知らない土地なので、めちゃくちゃ嫌われるのか、面白がられるのか、どんな感じに扱われるんだろうと思っていたら、みんなすごいアットホームに接してくださって、それが心地よくて、この街に来たいって思いました。実際住んでみても本当に印象そのままでした。だから何が移住の決め手になったかというと、移住者の先輩たちだと思います。人の空気感が良すぎて、「あ、この人たちの仲間入りしたい」ってすごく思わせてもらって、本当の決め手は「人」でした。

「みんながそれぞれ自分らしく幸せになれればいい」の思いを事業に

初めにも触れましたがあらためて、こちらのお店「Schuzlmithernic Life(シュツルマイザニックライフ)」、とても素敵です。最初からお店を開くことを目指していたのですか?

お店とは思っていなくて、自分で何か事業をしたいとだけは思っていました。東京でも起業を考えてはいたのですが、自治体の企業支援員さんと話した時にはすでに、私のやりたいことは地方にあるかも…みたいな話が出ていました。

もともと、やりたいことを持っていたんですね。

そうですね。基本的な精神は「みんなそれぞれが自分の幸せを得られるようになればいい」ということです。誰かが自分らしく幸せでいられるように、私に何ができるのだろう?って、いつも考えていて。青森に来て、ここでできることを考えたら、食べ物に行き着いたということなんです。

食べ物に行きついたのはどうしてですか?

もともと“食”は好きだったので、自分の興味関心がそもそも向くということと、この青森で、地域のローカルな作り手さんがまだちゃんと残っていたからです。だけど、もう絶滅危惧的な状況ではあったので…。すごくいいものを作ってくださっているのですが、いざ会いに行くと「今年で辞めようと思っている」とか「営業許可が今月で切れるから更新もやめようと思っている」とか言われたりするぐらい、絶滅危惧の商品たちがたくさんあったんです。

地域のものって、誰が真似しても同じものはできなくて、ここでしかできない。だから誰かに真似されるとか、取られることがないはずで。そして、その価値を絶やさずにいれたらいいなと思いました。私みたいなニッチでディープなものが好きな人にとっては、スーパーにたくさん並んだ大量生産品より、「わざわざ取り寄せてここのものを買う」みたいな楽しさが日常の中にあるのが幸せじゃないかなと思うんです。食品のラインナップから、県内・県外どんな人でも「なんかこれ好き」みたいな、ファンになれるような商品を見つけてもらえる場を作れたらいいなと思って、このお店を始めました。

Web上のお店と実店舗の両方を運営されているんですね。

そうです。小売の経験も知名度も何もない人間がぽっとオンラインショップをやったところで、お客さんがすぐつくことは難しいだろうなと思ったので、実店舗とオンラインで在庫を回していくことで、賞味期限切れなどのロスを少しでも防げたらと思ってやっています。

あと、どうしても場所も作りたかったんです。誰でも気軽に寄れる場所。ふらっと寄って、喋りたいことを喋って帰ってもらうみたいな場所になれたらいいなと思って。創業支援員さんからは「自宅を事務所にしてそこから発送すれば?」とも言われたんですけどね。

「お試しとわだ暮らし」も1つの制度ですが、創業・開店と、どんな制度を活用しましたか?

制度はフル活用しました。「お試しとわだ暮らし」では交通費・宿泊費の補助をしてもらって、移住する際は、引越し補助金と移住支援金。子どもがいると補助も加算されます。また、創業自体に金銭的な補助はないのですが、支援員さんに色々相談させてもらって、この場所がもともと空き店舗だったので、空き店舗等活用事業補助金を紹介してもらいました。あとは融資が下りなかったので、全部自分で壁を塗装したり、棚をつけたりと店舗は低コストで仕上げました。

棚はりんご箱を活用していて、壁の色も天井の装飾もおしゃれですね。

壁の色を皆さんに褒めていただきますけど、ネットで適当に買った塗料です(笑)。この場所は30年以上、誰も使っていなかったんです。ドアが壊れて簡単に出入りできる状態ではなくて…それは私では直せないので大工さんにお願いをして、ついでではないのですが、どうしても天井もカッコよくしたくて、そこも大工さんにお願いしたんです。

あと、建物の構造上、消防法にも苦戦しました。古い建物は昔の基準で作られているので、新しい基準に対応すべく、壁をつけて面積を減らし、許認可のハードルが下がるよう工夫をしながら進めていきました。

開店までにそんなご苦労があったんですね。店内にはお子さんが描いた絵が飾られているんですね?

お客様のお子さんが描いて送ってくれました。

ネットでお買い上げの方からですか?

そうなんです。驚いたのが、オンラインショップを始めて、やっぱりディープな商品ばかりなので、我ながら「誰が買うんだろう?」と思っていたんです。塩や醤油、調味料、賞味期限が長いものがメインなので、購入のサイクルが回らない。買い足すことも少ないのでリピーターはすぐには現れないだろうと思っていたら、今、10回目のお買い物をしてくださったお客様もいるんです。

オープンが2023年5月で、今までの半年ちょっとで10回目ですか!

本当にリピーターさんが多くて…びっくりです。みんな、なぜそんなに何回も買ってくれるんだろう?って驚きました。そんなお客様の中に、お子さんの描いた絵を送ってくれた方がいたんです。お店のコンセプトも、たくさん物を売るよりも「親戚を増やす」みたいな、そういうお客様とお店の関係を作りたいなと思っていたので、まさにそれが今叶っていて、 月に1回は注文してくれたり、近況報告を送ってくれたり、すごく良い関係が作れています。

地域で一次産業を担う次世代のために、適正価格で仕入れて売りたい

最初に何が入っているかわからない「おまかせセット」みたいなボックスを売り出したら、たくさん売れて、お客様が「まりえさんの商品だったら全部信じます」みたいなフィードバックをくださって。それをもらってからは簡単に商品を増やせないなと思いました。安易に増やして期待に応えられないものになるくらいなら、月に1個でいいから間違いないものを増やすほうがいいなと思って、焦らず慎重にやっています。

1つ1つの商品セレクトに時間をかけて、思いを込めているんですね。
商品販売の交渉は大変ですか?

生産者にはいきなり会ってはもらえないので、まずは電話で話をします。その方が共感してくださっても、関係する方々の賛成がないと販売の許可はなかなかでません。一人がいいと思っても、過去に嫌な目にあっている方がいると、あまりいい顔はされません。そのあたりが難しいところでもあります。

生産者さんとお会いしてどういうお話をしているのですか?

私のやりたいことが「物を売る」ではないというか…物を売ることはもちろん大事なのですが。例えば、現在お取引しているトマト農家さんたちが、規格外のトマトを加工品にしようとケチャップを作り始めて、今20年ぐらい。でも品種改良が進み、最近では規格外のトマトがあまり出ないようなんです。「原材料がないので今後は作れなくなるかもしれない」と言われていて、いつまで販売できるかわからない状態です。他の商品も事情は似たり寄ったりなことが多くて。だけど、「この地域にこれがあった」っていうことだけでも残しておいたら、その後の世代が食文化の豊かさに誇りを持てると思うんです。日本の食の知恵ってすごく魅力的なので、価値がある。それを残したい気持ちがあって販売していることを生産者の方には伝えています。それで、“ただ売る人”じゃないな、そういう人だったらいいのかなと、思ってもらえているのかなと思います。

高齢の生産者さんが多いんですか?

最高齢は89歳のおばあちゃん。高齢の農家さんって、いいものを作っているのにすごく安く売るので、私は「適正価格で売りたいから、値下げせずに卸してください」と言っています。一番の葛藤がそこなんです。普通は小売業って、安く仕入れて、安く売るものだと思うんですけど、一次産業をやる人が少ない理由は、やっぱり儲からないから。ある程度の規模がないと成り立たないから、個人や家族でやるのが難しい現状です。その要因の1つとして、高齢の農家さんがいいものを安く売るから、現役世代がいいものを作っても価格が安くなりがち、ということがあると思います。次の世代の人のために、適正価格で仕入れさせてくださいと伝えています。

なるほど。

私のオンラインショップって、実は“青森”という要素はほぼ出てこないんですよね。普通に情報としては青森県で作られているってことは出るんですけど、産地の枠を超えて商品自体の個性を出すようにと考えています。本当は商品そのものを届けたいのではなくて、商品を通してその人らしい愛着を持ってもらいたいんです。でも愛着って多分、言葉にできない謎の特別感や思い入れだと思うんですが…それを届けるのが目標の1つです。

“謎”といえば、「シュツルマイザニックライフ」ってどういう意味ですか?

何の意味もない造語です(笑)。友達がつけてくれた名前で、私がフリーランスになりたての時に“なんでも屋さん”みたいな感じで肩書きがなくて、「これをなんて表そう?」って相談したら「シュツルマイザー」でいいじゃんって。ただの適当な造語なんですよね。

この世の言葉で表せないものなら、言葉自体を作って表現すればいいってことですかね。

何の言葉にも表せないものを全部「シュツルマイザー」にしようと思っていて。この店も“言葉に表せない思いとか気持ちを感じてもらう場所”みたいな感じで、「自分しか分からない思い出のあれ」みたいな、その人なりの特別なものを選んでもらえる場所になりたい。長いので、通称「マイザー」と言っています。

自分発信の店舗運営×フリーランスで企業をサポート
収入も自己実現も手に入れる「これからの働き方」

フリーランスで人事のお仕事をされていたとか。

東京にいた時は起業支援とか経営企画のサポートをしていたのと、もう1つ、人事の仕事もずっとしていて、今も継続してテレワークで採用の仕事をしてます。今のところはこの人事のお仕事の方が収入としては大きいですね。お店だけで生活費を稼ぐのは難しい。だから、今の働き方としては東京時代からやっている人事の採用のお仕事とウェブショップアンド実店舗の2軸で、お店は会社を設立して、採用の支援や経営サポートは個人事業でやってます。

なるほど。会社を設立されたということですが、起業支援をされてきたのならプロフェッショナルですよね。

うーんと、なんで起業したのかというと、もう全部自分で好きにやりたいみたいな気持ちもあったんです。会社の立ち上げとか、商品のブランディングを一緒に考えるとか、ずっとやってきたけどフラストレーションもあって。「私はこっちがいいと思うけど、社長さんがこっちがいいならそっちだよな」とか。お手伝いする仕事は今は個人事業主としてやりながら、ショップ運営については、会社として立ち上げて自分発信の事業にしようと思いました。

移住しても色々な働き方ができるよ、ということですね。

そうなんです。働き方は時代とともに変わっているので、今は1つの仕事だけだと厳しくなってきていると思います。私も2軸あるから成り立っている。 だからもう、公務員とかも副業できたらいいのにって。

確かに。今どんな仕事をしている方でも、1つの仕事の経験がもう1つに生かせることもありそうですよね。

後編はこちらのリンクから
https://towada-iju.com/collection/webmagazine/042

今回の取材場所

シュツルマイザニックライフ/Schuzlmithernic Life

〒034-0011 青森県十和田市稲生町10-34
EC Shop:https://schuzlmither.official.ec/
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